History 銀座の歴史

旧き、良き、新しき街

ガス灯通り

銀座の歩道

かつて日比谷入江と呼ばれる遠浅の海だった現在の銀座一帯は、徳川家康の「天下普請」と呼ばれる大事業によって埋め立てられました。
そして「銀座」という地名は、江戸幕府が銀座鋳造所をこの地に置いたことに由来します。
初めは地名ではなく銀貨を扱う銀行のような役所に過ぎず、日本橋の金座があったあたりを両替町と読んだことに合わせて、「新両替町」と呼ばれていました。
現在と同じ「銀座」が正式名称となったのは明治2年のこと。当時は、現在の銀座8丁目までの広さに比べるとかなり狭いものでした。同年、銀座の街を大火が襲い、それを教訓に明治政府は京橋から新橋に至る約1kmの表通りに、当時の新建築である煉瓦を使った街造りが計画されました。
こうして明治7年、日本で初めて車道と歩道のある洋風の新しい街に生まれ変わり、この界隈は商業・文化の街として発展していきました。

歌舞伎座

「銀座発祥の地」石碑

銀座柳並木の碑

銀座出世地蔵尊

銀座8丁目ニッタビル

※上記の画像は竣工時等の画像となります。
※上記の内容は分譲当時のパンフレットに記載されている内容を基に掲載しております。